別冊エスプレッソ|いつも南風が吹いている 伊達周三































Vol,2 spat by six years old kid  唾を吐く6歳児

今は9月。寒い日の多かった冬が終わり、ケアンズにも春がやって来た。最近は少し湿気が出てきて日中汗ばむことが多い。熱帯とはいってもここには一応四季と呼べるようなものがあって、それなりの季節感というものがある。

この時期だと、真っ先に思い浮かべるのは僕の場合、マンゴー。それから、この時期から咲き始める花、ポインシアーナやアカシアだろうか。マンゴーは今月末にはマーケットに出回るはずだ。木によっては実が既に大きく膨らんでいる。

マンゴーは本当に旨い。他のフルーツと違って当たりはずれがなくどのマンゴーを食べても美味しいのが有り難い。つるつる、すべすべしたオレンジ色の果実は輝きがあり、上品で大きくふっくらとした姿に風格さえ漂わせる。トロピカルフルーツの女王といってもいい。今まで食べたフルーツの中で「うう~ん」と唸ってしまったのは、前にも後にもマンゴーだけだ。

しかし買っても安いからなお有り難い。マーケットなら閉店間際に行けば大きなものでも50セントで買える。買わなくても、道端に落ちているマンゴーを拾ったり、公園や原っぱに生っているマンゴーを落として歩くのも楽しいものだ。

春というと花。ここケアンズでも春を告げる花があって、その代表は南洋桜と呼ばれる真っ赤な花、ポインシアーナ、そしてその昔、関口宏と結婚した西田佐知子が歌っていたあの歌の題名にもなっている花と言えば、そう「アカシアの雨がやむとき」のアカシアだ。

いずれもマメ科の木でアカシアのほうは黄色い花。別名ワトルとも言う。残念ながらケアンズでは見られないが、ゴールデンワトルという小さい真ん丸い形をしたアカシアが国の花になっていて、オーストラリのナショナルカラーの黄色と緑色はこのアカシアの花と葉の色からきているという。

ゴールデンワトルはこの地方では見られないけれども、その代りゴールデンシャワーという藤の花のような形をした綺麗な花がこの地方では有名だ。この花は満開になると、その木をすっぽりとその花で覆ってしまい、木全体がまるで黄色いシャワーでも浴びているように見えるのでそういう名前が付いた。とても綺麗で見ごたえがある。

そして、紫色のジャカランダも忘れてはいけない。これはポインシアーナやアカシアのような暖色系の花とはまた違ってやや暗く妖艶さを漂わせた一種独特の美しさがある。

もっとも、ここは年較差が小さいからニュージーランドと同じで半年以上も同じ花が咲いている場合があるが、この3つの花が同時に咲き乱れるこの時期はまさに春爛漫といった風情がある。

9月の朝は、まだひんやりとしていて気持ちがいい。この時期は乾季の真っ只中だから、海岸通りを朝歩くと、澄み渡った青空と、その下に広がる紺碧の海が太陽の光を一杯浴びてきらきら輝いて美しい。海岸に沿ってできている散歩道に目を向ければ、のんびり歩いてる人、そしてジョギングでもしているらしい人が足早に駆け抜けていく。

また芝生の上では腰をおろしボケーっとしてる人、寝っ転がって本を読んでいる人、ベンチで本を読んでる人、遠くではボール遊びに興じている人など、めいめいが好きなことをしながら長閑なひと時を過ごしている。聞えてくるのはたまに聞える鳥の囀り、そしてボール遊びに興じている人の笑い声と弾けるボールの音ぐらい。時折吹く、爽やかな海風がとても心地いい。

ケアンズの海岸通りの向こうに広がる湿地には、ペリカンも含めていろんな鳥がやって来る。その鳥達も人間も、浮世を忘れて静かで平和な「小春日和」を思い思い楽しんでいる。こういう風景だけを眺めていると、本当に長閑だ。どこか別世界にでもいるように錯覚してしまう。

しかし、現実に立ち返ってみると、僕は「小春日和」とは程遠い憂鬱な日々を送っている。それも「曇り、時々雨」どころか、しばしば「暴風雨」となって身の危険を感じることさえある。それは私生活のこと、ではない。

では「暴風雨」とは、どこの話かというと、それは僕の仕事場でのことである。僕の運転するスクールバスに、2年前に一人、去年からまた一人問題児が乗ってくるようになった。いずれも6歳の男の子。

この子供たちは一旦荒れると手がつけられない。そうなると暴風雨。バスの中は雨嵐ならぬ靴、本、靴下、おもちゃが飛び交い、挙句の果てには唾まで飛んでくる。僅か6歳の子が、である。オーストラリアにも末恐ろしい子供がいる。

もうこうなると車内は騒乱状態、僕とパティはパニック状態。最近はこういうことが毎日のように起きていて、私も流石のパティもかなりイライラすることが多くなった。いっそのこと暴漢からの唾被害が多く、困り果てたクイーンズランド警察が使い始めた防護ネットを発注しなければ、と本気で考えている。

このスクールバスの仕事をはじめてもう5年以上になるが、こんな異常事態は初めてだ。物が飛び交う、唾が飛び交かうのは停車中、運転中を問わない。これが如何に危険かおわかりだろう。

例えば、運転中後ろから物が飛び込んできて運転手である私の頭にぶつかるとする、そしたら、びっくりして思わずハンドル操作を誤って、傍らの車にぶつかるかもしれない。歩行者を跳ねてしまうかもしれない。あるいは勢い余ってお店に突っ込んでしまうかもしれない。あるいは川に滑り落ちて、運悪く川に潜んでいたワニに食べられてしまうかもしれない・・・。

『む、むッ・・・、冗談じゃない。折角、脱サラまでしてオーストラリアに来たのに、結局ワニに食べられるなんて』
『こんな餓鬼どものために命を落としてなるものか』
と心で呟いた。

兎に角、バスは今、コントロール不能でどうにもならない状況になっている。

唾を吐く子どもAと物を投げる子Bは、いずれも言葉を話さない精神障害児だから余計対処が難しい。見た目はその辺の子供と何ら変わりはない。唾を吐く子は今日も波乱があった。今朝は良かったが、午後迎えに行った時、バスに乗り込むなり落ち着きがなく他の生徒の席に座ったり、座席の下に潜り込もうとしたりしててんやわんやだった。そして不安が的中した。

パティは若い頃、アウトバックで銃を持って生きていた女性だ。もっとも野犬、野兎、野豚撃退の為だが。彼女はこの国の開拓者の血を引く正統派の豪州人。彼女にとって「悪は悪」「駄目なものは駄目」なのだ。Aの振る舞いは野犬や野豚と同じで彼女にとって目障りなもの、駆逐すべきもの以外の何物でもない。返り血を浴びようが何しようが構わない、駆逐するか、さもなくば屈服させられるか。殺るか、殺られるかの選択肢しかないのだ。

私のように極力犠牲が出ないように、宥めたりすかしたりしながら手練手管を使って懐柔してみようという発想は全く、ない。だからこの場合もAに対し、彼の行動をいちいち咎め自分の席に着くように大きな声で促した。そして案の定、Aは更に暴れだした。そしてこの子の秘密兵器である飛び道具がとうとう発射されてしまった。

「プッ、ププッ」

音はほとんど聞えない。しかし確かに発射された。2発、彼女の頬と喉の辺りに着地した。唾をすぐさまティシューで拭いながら、パティは物凄い形相で怒鳴った。

パティ 「こら~っ、A!! またやったわね。この・・・!」

見ていた私も迫力にちょっとビビッてしまった。

ところで「・・・」はスラングが入るのだが、翻訳するのは憚れる表現なので控えたい。唾は物を投げつけられるのと違って痛くはないが、VHIやB型肝炎などの深刻な感染症の危険があるからきわめて迷惑で不愉快である。

そこで私は居ても立ってもいられなくなって彼女に、僕は言った。
「パティ、貴方のやり方じゃ、自体を悪化させるだけだ。更には唾も飛んでくる。それよりも、まず時間を与えて暫く好きなようにさせたほうがいい。そうすれば、Aは次第に落ち着いてくるはずだ。一旦落ち着けば前もそうだったように自分で席るよ」

不安、強迫神経症の治療で知られた森田正馬博士の感情の法則に「感情の波は、一度峠に達すれば一瞬にして沈静する」というのがある。これを突然思い出しながら自分の意見を伝えてみた。

すると、パティは、「・・・、いやそんなんじゃ駄目!だっていつ落ち着くかわからないし、そもそも落ち着くかどうかもわからないじゃない。他にも子供が居るのよ。たった一人の子供の為にそんなことしてられないわ。どんな場合でも毅然とした態度をとらないと、いつまでも同じ事を繰り返すわ」と言って譲らない。

彼女のことだから、そういう返事が帰ってくるだろうと予想してはいた。確かに彼女の言うことも一理あるし、僕もできるならそうしてみたいと思っている。

だが、あの騒乱状態と飛び道具を思うとぞうっとして、つい「触らぬ神」のほうに走ってしまう僕。まあこれは動物の扱いに慣れた遊牧民族と、腫れ物に触るように稲を育てる稲作農耕民族の違いさ、などと言い聞かせて自分の行動を正当化させてみるのだが、本当のところは、こういう時になると意気地がない自分が炙り出されるようで情けなくて仕方がない。

「子供の躾けや犯罪に対しては、妥協なしに「駄目は駄目」と力でガンガン押さえつけて行くやり方を支持する人は今でもこの国には多い。保守派のキャンベルニューマン率いるQLD州新政府も、悪がきどもにブートキャンプ(軍隊式鍛錬)で鍛え直そうという青少年犯罪対策を決定した。州内に二つ予定しているキャンプの一つがこのケアンズに出来ることも既に決まっている。

また、西独時代のシュミット首相が1977年、西独赤軍派のテロ対してやった強攻突破策は絵に描いたような成功例だった。飛行機を乗っ取り人質を取ったバーダーマインホフ率いるこのテロリストグループと一切譲歩せず、人質が犠牲になることも覚悟の上で特殊部隊を飛行機に突入させ無事人質全員を解放させた。

それだけでなく、その後組織はそれによって動揺し、そして見事に崩壊した。一方日本の福田首相は、同じ年、同じような人質ハイジャックに対して「人命は地球より重し」として譲歩して多額のお金を払い獄中の人質を釈放した。これに対して世界中からそれはテロを助長するやり方だ、と非難の声が押し寄せた。

やはりこういう揉め事は、彼らに任せたほうが上手い、とまた勝手に理由をつけてしまう僕・・・。

しかしながら、こういう方法がいついかなる時も、いかなる相手にも妥当かわからないし、実際上手く行かなかった事例も沢山ある。時と状況次第では、臨機応変に対応できる「知恵」と「技」も必要だと思うのが僕の考えである。Aの場合は障害者ということも考慮しなければならないし、難しい問題ではある。

唾は、吐きつけられても痛くはないが、HIVやB型肝炎などの深刻な感染症の危険がある。唾が口や目に入ったら血液検査もしなければならない。その結果が出るまで数ヶ月掛もかかる場合がある。その間ずうっと不安に晒されるのもつらく嫌なものだ。

ある時パティはこう言った。
「Aの父親の目つきと動作、見てわかる?」

言わんとしていることは僕にもピーンときた。刑務所勤務していたパティーだもの、そういうことには勘がいい。それならこれはますますAには気をつけなければならないではないか、ということで心配性の私は早速医者に行った。医者は、そういうケースで唾によるHIVの感染の心配はないが、肝炎予防注射ならOK、と言ってくれたので二人で受けることにした。会社が費用を負担してくれたことは言うまでもない。

唾の問題はひとまずクリアした。しかし物を投げる子、Bがまだいる。これはこれでまた頭が痛い問題だ。暫く前、この子はとんでもなく暴れまくって大変だった。

午後学校へ迎えに行ったときからBは手に負えなくて、地面に仰向けになって手足をばたばたしてわめいていた。それで教師が二人連れで無理やり何とかバスに乗せたのはいいが、後を任された私達はもう大変。すぐに腰に持病のあるパティではコントロールが難しそうだと判断し、彼女に運転手になってもらった。

私はケアラーとなりバスの床に寝そべって動こうとしないその子を無理やり起こして椅子に座らせ、私は隣に座ってこの子の両手を自分の手で無理やり押さえつけ、ばたばたさせる両足はもう手が使えないので、仕方がないから自分の二本の足で押させつけながら家まで送って行った。途中,私は引っかかれたり、齧られしたりと満身創痍。太っていて大きく力がありとても大変だった。

その子を降ろすなり、私はいても立ってもいられなくて、迎えに来ていた父親に、僕は言った。「一体どうなってるんだ」と、流石の私もやや興奮気味に話しかけたのだった。たが、父親は、「私も全く手に負えなくて困っている」と言う。

もっと困ったことにBは隣の家に石を投げることもあるというから、この親はもう完全にどうすることも、" I can't not "。こんな子供を押し付けられる我々も、教師も大変なんてものではない。

唾を吐く子供の親もそうだが、この親はそんな自分の子なのに風邪を引いても子供に家に置いておくよりいい、と思ってるふしがあって、顔がいつもよりボーっとして咳がひどいのに学校に行かせようとする。だから、バスの中は「げほ、げほ、ごほん、ごほん」鼻水?「ズズッ、ズ~ッ」。学校に着くまで不快指数は120%。我々はじっと我慢で世話をするしかない。

バスの中はばい菌だらけで汚くなるし、今年の冬はそのせいか次から次へと犠牲者が続出してしまった。パティはインフルエンザにかかり2週間ひどい声でそれでも休まず働いてくれた。始めの一週間はほとんど声が出なくなってかわいそうだった。私は夏に受けていたインフルエンザ注射のおかげで何とか難を逃れることができた。

それにしてもこういう子が大きくなったら、と思うと背筋が寒くなる。つい去年までは、このスクールバスは長閑だったのに。どの児童、生徒も概ね静かで毎日が「小春日和」みたいなものだった。まれに問題が起きる時もあったが、身の危険を感じることは皆無だった。しかし、今は昔。あまりにも急な環境の変化に、僕は驚き当惑しそして疲労困憊している。

ところで僕を悩ませていることがもう一つある。あの暴走おばさん、パティ。
インフルエンザが治りすっかり前の元気を取り戻した彼女、最近やや、というよりますます意気盛ん、時どき暴走気味。この仕事に慣れ余裕が出てきたのか、それとも草食系の私を組み安しと見たのか、最近ラジオからテンポのいいプレスリーやビーチボーイズなどの曲がかかるとバスの中で踊りだす始末。市内にロックンロールのダンスクラブがあって昔通っていたという彼女はダンスが大好きだ。

しかし、これがまた頭の痛い問題だ。何故ってあの体でダンスでもされたらどうなるか。バスは大揺れに揺れて横転してしまいかねないではないか。
あわやっ、と思ったことが一回本当にあったのだから。

いやはや、小春日和は夢のまた夢。僕の悩みは当分終わりそうもない。
ええ、なんですって、彼女の一番のお気に入りの曲?
そりゃ勿論、なんてたって、プレスリーのあの「監獄ロック」!!

つづく